久本山・熊野森とは

 

 溝の口駅南側の小高い山は、南武線からも、田園都市線からも車窓に望める多摩丘陵の河岸段緑地として、誰からも親しまれ、都市化する溝の口において残された貴重な自然となっています。土地の人は、久本山とも、熊野森、通称おくまんさまとも呼びならわし、自然のやすらぎ、かけがえのない斜面緑地として、保全を願っています。

 この地には、縄文時代の貝塚や古墳がありま  す。また、平安時代後期の武将源義家(八幡太郎)が見つけたと伝えられる「江戸見桜」は、江戸時代に大山詣での人々が道標にしました。鎌倉時代から明治初期まで熊野社である阿弥陀堂、薬師堂、十王堂などがありました。
 絶滅寸前のシラカシ林、キンラン、ギンランがあり、コジュケイ、ウグイス、ヒヨドリなどの鳥類や狸やアカネズミも生息しています。

  <江戸見桜2000年夏>

 

 高津区役所が発行する「高津の散歩道」には久本山を中心にしたコースが紹介されていますし、高津区区民懇話会が十数年前から調査し、「高津芸術の森」や「高津ふれあいの森」として残す構想を提言した場所でもあります。

  

 いまこの地の大半に、地下室型マンション建設の計画が進んでいます。急傾斜崩壊危険地域に造成されるので、崖崩れが心配されますし、雨水の流出は崖下の住宅を直撃するでしょう。狭い住宅地の道路を日に数百台の大型トラックが往来して、交通被害は目に見えています。破壊された自然は元にはもどりません。

<堂坂2000年夏>

 

 私たちの生活を陰で支えてくれる身近な自然は、なにものにも代え難い貴重な空間です。特に都市の緑地は気温の上昇を和らげ、心安らぐ暮らしのエネルギーとして役立っています。

 

 

<江戸見桜2001年元旦>

「江戸見桜」

 この辺りは標高の高い所で、多摩川を越え「江戸が見える」「江戸からも見える」として地元はもとより、大山詣での人が目印にしたのでこの名が付けられたと言われ、平安時代の武将八幡太郎義家が見つけたとも伝えられています。
 ここはかって熊野社のあった所。桜は依代の木(御神木)で浄土を現す象徴でした。
 

 現在の木は、昭和の初めに大木が枯れその根本からでてきたもの。周囲の縄は「しめ縄」で、2000年4月2日に江戸見桜の会が、「江戸見桜の長寿を願う会」の折に張ったもの。梅原時保(1801年没)により寿詞が詠まれています。この碑はかって堂坂にあったが、現在は杉山神社に移されています。

「梅原時保の寿詞」

 武州橘樹郡
末長邑 

熊野大権現

   寿
h奈賀久景三
   具摩埜也山桜時保

(すえながくかげみつ
 くまのやややまざくら)

 制作年代は明治元年(1868年)の神仏分離令施行以前。文章表現が俳諧の形をとっていますから中世まではさかのぼらない。おそらく江戸時代中期以降で終期か末期ではないか。
 おそらく武士を祖先にもつ時保という人が、熊野権現への寿詞を五・七調の俳諧の形で書き付けたのでしょう。
 「末永く影満つ熊野や山桜」

 意味は、熊野の山桜は永遠に光に満ちていることだということです。俳諧の文字は佳字を用いて一字一音で表記しています。

(渡辺美彦氏 解読)

 

「ターザンの木・スダジイ」

 横枝が長く伸びていて、ターザンごっこをして遊んだことから、この名がつきました。この大木はターザンの木としては二代目、一代目はヒイラギでした。
 遠くから見ると森のようなこの木は、夏に花が咲きどんぐりが実ります。
 高さ130cm箇所の幹周り合計は690cmもあり、川崎市内でも珍しい巨樹。多くの人が保全を願っています。

<2000年秋>

 

「キンラン」

 環境庁編「植物版レッドリスト」の中で絶滅危惧種にあげられている「キンラン」が確認されています。
 マンション建設予定地にあったキンランは、先日造園業者により移植され保護管理されている。マンション完成後に戻されるようですが、その時はキンランの生育にふさわしい環境になっているでしょうか。

<キンラン・イメージ図>

「馬坂と庚申塔」

「堂坂入口」

 

 

<久本神社>

 

<岡家四脚門と辻>

<岡家石碑>

<熊野森の畑と梅林>


<末長久保台の畑>

<久保台から見る富士山>

 

 

<大蓮寺>

<龍台寺>

<明鏡寺>

<杉山神社>

  <時保の熊野社
     寿詞碑文>

(杉山神社)

<雪の江戸見桜  
2001年1月21日>